鉄の骨 / 生き残るために、必死になれていますか?

池井戸潤さんの「鉄の骨」を読みました。
直木賞の候補にもなり、吉川英治文学新人賞を受賞。「空飛ぶタイヤ」に続いてNHKでドラマ化され、話題になった作品です。
主人公は、中堅ゼネコン一松組の4年目の若手、富島平太。建築現場ひとすじだった彼が、ある日突然、業務部へと転属されることになります。業務部は、「談合部」と呼ばれ、公共工事の案件を談合で落札する悪しき慣習が残った部署でした。曲がったことが嫌いだった平太も、部署の先輩に「これは必要悪なんだ」と諭され、胸の中に疑問を持ちながらも、日々の業務を必死でこなします。
そこに舞い込んできた、1800億規模の地下鉄工事の公共案件。ゼネコン各社は、なんとしても自社で実施できるようにとあの手この手で落札しようとします。一方の一松組は、専務の尾崎が、他者とは協力せず自社単独で入札すると方針を決め…。

落札がどうなるのかというサスペンスの一方で、主人公の平太と銀行勤めの恋人萌の恋愛にもはらはらさせられます。現場のミクロな視点でものごとを語る男と、銀行の視点でついついマクロな視点で見てしまう女。視点の違いで少しずつすれ違っていく様子は、実にリアルです。人は携わる仕事によって、その視点や価値観が変わっていくものです。

視点が変わるという意味では、現場でヘルメットを被っていた主人公が、案件を獲得する最前線に飛ばされるという設定も、実におもしろかったです。
自分自身、前職のSIerにいたころは、同じような感覚だったかもしれません。顧客に出す提案書や見積書に多少携わったことはありましたが、その提案書を提出するまで/した後の攻防戦みたいなところは全くノータッチでした。

この「視点による見え方/考え方の違い」というのが、本書のキーワードのひとつでした。

ものづくりの現場と、営業/入札の現場の違い。会社経営における短期視点と中長期視点の違い。役職による視点の違い。男女の違い。職業による違い。同じ事柄でも、こんなに感じ方や捉え方が違うんだなと改めて認識させられます。

本書で、特に印象的だった部分を引用します。平太が業務課に配属になり、先輩社員が必死で受注にこぎつけようとしている仕事ぶりを見て、感じたことです。

 工期が短いとか、低予算で赤字になりそうだとか、たしかに、いろいろな制約や難しいことは山ほどあった。
 だが、それはあくまで、与えられた仕事の枠内という限られた世界のことであって、そもそもその仕事が誰かの努力により獲得されてきたものである、という認識はさほどなかった。
 ところが、注文を取ってくる立場になると一転して、それが途轍もなく大変なことだということに気づかされる。
 ひとつの工事を受注するために、何人もの営業マンたちが必死で工作している。この国が資本主義社会であり、競争がその原理原則であるが故に、それに打ち勝とうと、あらゆる作を講ずる。知恵の限りを尽くして、生き抜くために―。

日々の仕事をする中で、その仕事に込められている色々な想いを、きちんと感じることができるようになろうと思いました。

鉄の骨

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