バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)

友人夫婦とMOVIX京都にて鑑賞。

以下、ネタバレあります。

www.foxmovies-jp.com

若かりし日にスーパーヒーロー映画で主演を務めた人気俳優が、人気を取り戻すためブロードウェイで主演・作・演出の舞台に挑戦するという話。ほぼワンカット的に表現されていて、舞台的でもドキュメンタリー的でもある。主人公を、その昔バットマンで名を馳せ、その後(ハリウッド大作では)鳴かず飛ばずになったマイケル・キートンが演じているあたりをとっても、多重のメタ的な表現の上に成り立っていておもしろい。シンプルなんだけど、味に深みがあるという作り。主人公の妄想世界と現実世界の境目がない表現方法も舞台的だった。

マイケル・キートンがとにかく素晴らしくて、ブリーフ一枚で街中を歩くシーンとか、エドワード・ノートンとだらしない殴り合いをするシーンとか、ぐっとくるシーンがいくつもある。なんといっても冒頭の楽屋で座禅を組んでいる後姿。ここの空気感がやばかった。一気に持って行かれた。脇を固めるエドワード・ノートンザック・ガリフィアナキスも最高。エドワード・ノートンエマ・ストーンは、ふたりともアメコミ映画に出ていて、ノートンの方はハルクで主人公も演じているので、そういう意味でもおもしろい。計算しつくされている。

ラストシーンの意味がよく分からなかったね、と映画のあとで友人と話していたのだけど、家に帰って振り返ってみた自分なりの解釈を書いておく。

舞台上で銃口を自分に向け発砲したあとからは、直後の海に打ち上げられたクラゲが暗示するように、どん詰まりの死にゆくリーガンの最後の妄想世界。

撃ちぬいた鼻はバードマンを象徴するもので(くちばしのモチーフが高い鼻になっていた)、それを撃ちぬくことで、過去の名声への決別を果たした。そして舞台俳優として、名物批評家から賛辞を送られ、新たに名声を得ることができた。病院では、舞台上で話していたエピソードと被る目だけを露出して包帯を巻かれ、そのエピソードの人物と同様に妻への愛情を求め、それに応えられた。そして、難しい関係だった娘からも尊敬と愛情を得ることができた。
過去への決別、名声、愛情、信頼と彼が欲してやまなかったものを全て手に入れ、晴れやかになった気持ちで空を舞っている姿を娘に見つめられている、という妄想(妄想であることは、鼻を撃ちぬいたにしても包帯をとったあとで綺麗な鼻に戻っていることからもわかる)。

悲しい結末なようで、最後の最後に人生を幸せな妄想で締めくくることができて良かったという解釈もあるんじゃないかな。映画自体が舞台的に表現されていたので、人の死もまた、舞台上での死と同じように表現のひとつとして受け止めることができるからかもしれない。