新学年そうそう

色々と大事な決め事を進めているが、スムーズにいかないなあ。当たり前だけど。

三男の登校班にはもうひとり一年生が増えてにぎやかに。お兄ちゃんらしい振る舞いができているかしら。

今年はPTA会長という役割になったので、なんか学校からのお便りが多い。近所の幼稚園の予定表とかそういうの。なるほどこういう情報がまわってくるようになるのね。なんかうまく電子化したら良いのにと思うけど、ネットに全世界に公開バーン!とはいかなくて、なんとなく緩く、この地域の人が見れたら良いって粒度の情報だと、今のところ紙による配布・回覧がちょうどニーズにあってるんだろうなあ。

長男、次男、三男ともに、学校から、お知らせ通知のメールアドレスの登録してくれという案内が来ていて、せっせと作業。長男と三男が2年生(高校と小学校)で、次男と三男のクラスの数字と出席番号の数字が同じで、非常にややこしい。プリントに名前とクラスを書くときにめっちゃ迷ってしまった。こういうのこそうまく電子化したら良いんだろうけど、それもまた難しいのかな。

コロナ

夕方、三男が通っている児童館からメールがあり、関係者にコロナの感染があったため土曜日まで児童館・学童事業を閉じますとのこと。いやー、困ったな。明日はまだ給食もないし、午前中で学校が終わるぞ。いつもなら在宅で、帰宅する子供を待って、リビングで過ごさせるとかもできるけど、出社の予定を入れちゃったんだよなあ。と、思ったら妻が午後の予定のつけて早退してくれることになった。良かった。

正義と暴力

ロシアによるウクライナ侵攻のニュース、それに付随する(主にネット上の)様々な情報に触れるたび心が痛む。フェイクニュースに煽られたり踊らされたりするのには気を払う必要はあるが、人が人に暴力を振るうことは、どんな理由があれ許されてはいけないと思う。それが許される社会だと、自分にそういった暴力が振るわれることを許すことになってしまう。暴力といえば、アカデミー賞の舞台で妻を侮辱されたウィル・スミスさんが、壇上のクリス・ロックさんを平手打ちするという事件があった。日本とアメリカとではこのニュースに関する感じ方が違うというのはよく言われていて、「家族を侮辱された」「面子を潰された」ウィル・スミスが平手打ちしたのは正当と思う人が日本には多い(らしい)。アメリカではどんな理由があれ暴力を振るってはいけない、公衆の面前で暴力行為に及びFワードを発したウィル・スミスが悪い、というトーン(らしい)。「ウィル・スミスの気持ちがわかる」というのと「ウィル・スミスの行為は正当」というのとでは話がぜんぜん違うし、その2つがわりとごっちゃになって話されているのを聞くともやもやすることはあるのだが、まあそれは置いとく。
私も最初にこのニュースを聞いたときは「それはクリス・ロックが悪いな。叩かれても致し方なし」と思ったが、いやそんなことはないなと思い直した。致し方なし、と考えるのは「正義があれば(フィジカルな)暴力行為を行っても良い」ということだし、その延長線上には、今まさに繰り広げられているロシアによる行為がある。違うのは暴力行為を行っている側の気持ちが「分かる」か「分からない」かの違い、あるいは「共感できる」か「共感できない」かの違いでしかない。誰かの気持ちに寄り添ったり、共感したりする行為はとても大切なことなのだけれど、物事を判断するときにはそういう感情や共感を切り離さなければならないなと思う。が、平手打ちに一瞬共感してしまったように、そう簡単なことではない。