両手にトカレフ

出張に来ているので、朝早く起きる必要は全然ないのに5時に目が覚めてしまった。旅先の枕やベッドって合わないんですよね。なんか緊張しちゃうのかしら。

早く目が覚めたので、持ってきたブレイディみかこさんの「両手にトカレフ」を最後まで読みました。

両手にトカレフ

ブレイディみかこさんのエッセイ「僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー」で描かれた英国貧困層ティーンの姿を、フィクションの形で描いたのが本作。依存症で育児放棄している母のもとに暮らす中学生のミアを中心に描かれる物語は、何度もはっとさせられるシーンがありました。

また、作中でミアが図書館で教えてもらった金子文子の伝記を読みシンパシーを感じるという仕掛けも効果的でした。金子文子は大正期日本のアナキストですが、その生い立ちは壮絶で、親からも親戚からも育児放棄され、大人から虐げられる厳しい環境の中を生きていました。現実では、自分の親や生活環境のことを誰にも相談できないミアは、本の中のフミコに共感をもとめていきます。途中、フミコの元に裕福な親戚が現れて引き取られていったときは、そのファンタジーさに呆れ、ひたすら辛いことが続く自分とは違うと読むのを中断してしまいます。が、最終的には、史実のとおりフミコは幸せになるわけではなく、ミアのもとにはいくつかの素敵な奇跡がおき、幸せな生活への活路を見出したところで物語は終わりました。

カネコフミコの話は大正時代の日本ですが、ミアは現代のイギリスを生きているわけで、時代が変わっても、政治が機能しないと貧困による様々な問題は悪い方向に転がっていくんですね。そこで生きる人々の生活を、富裕層のボンボンの息子であるウィルは「リアル」と表現します。ウィル自身は、その言葉に悪意はなく、むしろ自分には感じられないヒリヒリした「生」を感じる体験という意味合いで使っているのですが、言われているミアからすると、そんな「リアル」な生活は良いものでは決してなく、できればそんなものは体験したくないという代物なわけで、全然褒められているとは感じないわけです。こういうすれ違い、よくあるよなあ。自分もこれまで無自覚にウィルのようなことを口にしていたかもしれないと思うと、恥ずかしくなります。

また、ミアの前に現れたソーシャルワーカーのレイチェルが口にする「世の中には、子どもを助けたいと思う大人もいるのよ」という言葉。この言葉の前提には、子どもを助けたいと思う大人がいない世界があるわけで。少なくとも自分の子供達が関わる、自分の身の回りの社会はわざわざ口にしなくても、大人が子どもを助けるのが当たり前な社会であってほしい。自分の行動で少しでもそういった社会の実現、維持に貢献できると良いなと思いました。

読了後、気になったので東京駅前のMARUZEN金子文子の獄中記を買いました。


皇居

やまなかくんと皇居周辺で近況報告を色々と。それにしても皇居はこの東京の一等地のど真ん中にこれだけ広い空間が維持できているのがすごいですね。

帰りの新幹線で食べるように、ハライチの岩井さんがおすすめしていたお弁当やでのり弁を購入。激推ししていたとおり、どのおかずも大変美味しかったです。お魚のフライがめっちゃ肉厚でした。ちくわの磯辺揚げも良かった。個人的には肉の代わりにもう少し野菜系が入っていてもいいけど、これはもう年齢的なあれですね。

長男

新幹線で京都に到着したら、ちょうど長男が修学旅行から帰ってきて、京都駅でバスを降りるのと同じくらいの時間だったので、待ち合わせてタクシーで一緒に帰ってきました。

長男も東北での宿泊研修を満喫してきたようです。スマホで撮影した写真を見せてもらいましたが、建物や看板、風景の写真ばかりで一緒にいった同級生との写真がほとんどありませんでした。高校生ってもっとこう自撮りとかしてワイワイやるもんじゃないんだろうかと思ったけど、まあ長男はそういうキャラじゃないってことなんですかね。