鹿児島を、いや日本を代表する経営者である稲盛さんが亡くなられたという報道があった。ご冥福をお祈りします。
同郷の大先輩であり、鹿児島と京都という場所にゆかりがある方なので、経営者として尊敬の念をいだきながら、勝手に親近感を抱いていました。
京都サンガのスポンサーパーティーにてご挨拶をさせてもらったのが良い思い出です。いつのことだったかとブログをさかのぼってみたら、2016年のことでした。
サンガのスポンサーパーティーは、スポンサー企業とチーム・選手とをつなぐ会で、席には色紙が置いてあり、気になる選手にサインを書いてもらうということになっているのですが、この年は珍しく稲盛さんが会場にお見えになったので、経営者の皆様は選手ではなく稲盛会長に列を作り、色紙にサインを書いてもらっていました。
私もその列に並び、サインは書いてもらいませんでしたが、握手と少し会話をさせていただく時間をもらいました。稲盛さんのご実家と、私の母方の祖母が同じ町内だったこと。稲盛さんの親戚の方と私が同じ幼稚園に通っていて、一時期一緒に遊ばせてもらっていたこと。私の幼稚園の頃の記憶にも「いなもりくん」というお友達の名前が残っていたのですが、私の中では「餃子屋さんのいなもりくん」でした。というのも、家に遊びに行くと、大きな(子供の頃に感じた「大きな」なので実際どのくらいだったかはわかりませんが)餃子の工場があったんですね。
私の中で、その「いなもりくん」と稲盛家が一致したのは社会人になってしばらくしてから。鹿児島にも餃子の王将はあるんですが、実は鹿児島の餃子の王将は「鹿児島王将」とジャンル分けされることがあり、通常の餃子の王将のフランチャイズとは異なるんですね。
餃子の王将のサイトで店舗情報を見ても「鹿児島」と「宮崎」はないことになっていて、鹿児島餃子の王将のサイトが別であるんですね。
なんでこんなことになっているかはWikipediaに書いてありました。
鹿児島王将株式会社は、王将フードサービスと「鹿児島県内における『餃子の王将』出店は鹿児島王将に一任する」旨の協定を結んでいる。日本国内で王将フードサービスの直営及びFC以外で“餃子の王将”を名乗る事が出来るのは鹿児島王将のみである。
稲盛和夫(京セラ創業者)の義弟が餃子の王将でアルバイトをしていたが、独立を希望していた。それを聞いた稲盛は、餃子の王将の社長に掛け合い、快諾を得たため、1978年(昭和53年)7月に実弟の稲盛豊実らとともに鹿児島王将株式会社を設立。同年9月に「餃子の王将」中町店をオープンさせた。
今思うと、というかそうだったんですが、私が遊んでいた「いなもりくん」は稲盛さんの義弟の息子さんだったのかな。私もお家の映像がうっすらとイメージとして残っているだけで、どんなことをして遊んだとかそういう記憶はなくなっていますから、今お会いしても昔話に花が咲く、なんてことはなさそうです。
サンガのパーティーでお話したときは、そんな話をかいつまんでお伝えしたんですが、稲盛さんはそうかそうかと聞いてくれて、会社の事業のことも聞いてくれた上で「まあがんばりなさい」と励ましの言葉をかけてくれたのでした。その後、私が出席したスポンサーパーティーには、稲盛さんは来られなかったので、直接お話できる数少ない機会だったんですね。今思えば、本当に幸運な時間でした。
訃報を聞いて、そんなことを思い出した一日でした。