早起きして、朝8:10開始の回を見てきた。IMAXの3D版。
予告編で「アバター:ウェイ・オブ・ウォーター」の映像を見る。「アバター」は、実は見たことがない映画の一本なんだよなあ。世界最高の興行収入歴代1位になった映画を見ていないなんて...って思う一方で、当時の劇場3D公開を見逃したのなら今更見てもな...という気持ちもあり。あと上映時間が長いよね。完全版は3時間くらいあるわけだし。
で、ワカンダ・フォーエバー、よ。
前作「ブラックパンサー」と本作の間にあった出来事を整理すると、MCU(映画の中のできごと)としては、「強敵サノスが地球を襲い、一時人口が半分になるという時期を経て、アベンジャーズの活躍により人口は復活、サノスを撃退」という感じで、一方映画の外では、ブラックパンサーを演じていたチャドウィック・ボーズマンが43歳という若さで大腸がんによりこの世を去ってしまいました。別の役者に同じ役を演じてもらうという選択肢もあったはずですし、実際主役級のハルクは製作上の都合でエドワード・ノートンからマーク・ラファロに変わっているわけだし。それをせず、劇中でもティ・チャラ(チャドウィック・ボーズマンが演じていた人物)は亡くなったのだとしたことに、映画「ブラックパンサー」及び彼が演じていたキャラクターの影響力の大きさがよくわかります。そういえば「マトリックス・リローデッド」と「マトリックス・レボリューションズ」の間にも、オラクル役のグロリア・フォスターが事故でなくなり、レボリューションズでは同じ役をメアリー・アリスが演じていました。見た目が変わっていたことについては、マトリックスという仮想世界の特性で説明されていましたが。いやしかし43歳か...。私とほぼ同世代なんだよな。ただただ悲しい。
例えばフィクションの世界であれば、どんな苦境にたったとしても、「善人」は最後に救われる展開になりがちですし、早くに命を落としていくキャラクターは観客や読者が納得できるような理由(めちゃめちゃ悪いことをしていた等)が提示されるわけですが(だからといって悪人なら死んでも仕方ないということではない)、映画の中でも外でも素晴らしい人物であった彼の死は、少なくとも私にとっては大きな不条理であり、おそらくこれから先もなくならない大きなしこりとして残り続けるんじゃないかと思います。
映画の冒頭、重い病を科学の力で治すことができず、ティ・チャラが亡くなったというシーンから始まります。絶望に打ちひしがれる妹のシュリ、そしてマーベル・スタジオのタイトルバック。いつもならアベンジャーズのスーパーヒーローたちがモンタージュされるところは、チャドウィック・ボーズマンのティ・チャラの映像で埋められていました。泣ける。映画冒頭で、映画の方から観客の胸にある悲しみに寄り添ってくれた。
映画の中では描かれない視点なんだけど、サノスが人口を半分にしているときにも、一度ブラックパンサーは映画の中からいなくなっている設定なんですよね。つまりこの国は偉大な王を2回失っているわけで。戻ってきてくれた!という喜びから、再び失ってしまうという感じで悲しみが深い。
王なき後、国が独占しているヴィブラニウムという超スゴ鉱石を狙って、各国が攻めてきたりするわけなんですが、そのいざこざの中で、海底にこっそり文明を気づいていたタロカン王国に米国が接触してしまい、それをきっかけにタロカンの王ネイモアがシュリを海底帝国に連れ去ってしまう。半ば自主的に海底王国に出向いていたシュリではあるものの、母親がティ・チャラの元カノのナキアをスパイとして呼び戻し、海底帝国を探り出してシュリを奪還。その際に、タロカンの民を殺めてしまい、そこから戦争へと発展していくという流れ。タロカン族、見た目が青い肌で水中で活動しているあたりで、予告編で見た「アバター:ウェイ・オブ・ウォーター」が頭をちらつく。別物なんだけど、前に見た感が生じてしまうので、この映画の前にアバターの予告編はノイズだったんじゃないかな。
自国を守るためとはいえ若く才能のある子ども(リリ・ウィリアムズ)を殺そうとするタロカンと、半分自分の意思で王国にとどまっていたシュリを連れ戻すためにタロカンの民を殺してしまったワカンダ。その後、戦いに発展していくのだけど、第三者的にはどちらにも肩入れできず、悲しい宿命・運命を背負ったもの同士の戦いで、映像的なダイナミズムはあったものの、感情的にはあんまりすっきりはしなかったんだよな。見落としている要素があるかもしれないので、見返したらまた感想も変わるかもしれない。
現実とリンクしている部分でいうと、このMCUという巨大タイトルシリーズの中でチャドウィック・ボーズマンの跡を継いでタイトルを牽引していくことになったレティーシャ・ライトは、劇中でブラックパンサー/ワカンダの王を引き継ぐことになったシュリ地自身とものすごくリンクしていたと思うし、そこに臨む覚悟はにじみ出ていたように思う。マッチョな男性のポジションを、細身の女性が継ぐことに対して、「シー・ハルク」で描かれていたようなことが起きるかもしれないが、MCUファンとしては応援していきたいね。