急変

夜中に病院から連絡はなく、平穏な朝。面会時間が13時からなので、午前中は実家で母と過ごす。

ネトフリのサンクチュアリを最終話まで見て、母は相撲好きの父に見せてあげないとねと言う。ネトフリの一覧をザッピングしていたら「老後の資金がありません」という映画が目に入って、気になった母が見始めたところ、冒頭でいきなりおじいさんが亡くなり、長男夫婦がなけなしの老後の資金から葬式代を捻出するという展開に、これは私が今見て良い映画なんだろうかと思った。内容はだいぶコミカルだったけど。

昨日の状態がだいぶ良かったので、今日は昼の面会のあとに京都に帰る予定でいて、荷物をまとめて病院へ。

13時から面会開始だったのだけど、今介助されながら昼食中なので少しお待ち下さいと言われ、家族待合室で待つこと30分。ようやく案内されてベッドへ向かうと、昨日の元気な様子から一変、ベッドの上でぐったりする父。ベッドの横で見守っていると先生がやってきて、呼吸の状態があまり良くないこと、熱が出ていることを教えてくれました。父は、意識は割とはっきりしていて、表情や目、ときにかすれた声でコミュニケーションはとれる状態。今は体力が回復するのを待ちましょうということだったので、一旦京都へ帰るべく新幹線へ乗りました。が、熊本を過ぎて久留米の手前くらいで、母から電話があり、病院から連絡があって来てくれとのこと。久留米の駅で新幹線を降りて、改札でこういう事情で鹿児島に戻らないといけないのだけど、と伝えると、とりあえず鹿児島中央行きの新幹線に乗って、向こうの改札で手続きしてくださいとのこと。10分ほど待っていると、鹿児島行きの新幹線がやってきたので、それの自由席に飛び乗り、鹿児島へとんぼ返りでした。中央駅の改札で事情を話して、改札を出る手続きを行い、タクシーで病院へ。病院には知らせを聞いておじさんもかけつけてくれました。

病室に入ると、昼よりもしんどそうな父。動脈血酸素飽和度の値が92くらいでしたが、先生がやってきて説明を聞くと、今投与している酸素が100%酸素であること、昼間は75%酸素を投与していたが、それだと動脈血酸素飽和度の値が下がってくるのでMaxの値で与えているが、レントゲンの結果肺炎の影も見えており、厳しい状況であるという説明がありました。だいぶ状況は厳しそう。

とりあえず今夜一晩がんばってみて、明日の様子をみて今後の治療方針を決めましょうとのこと。一旦帰宅して良いというので実家に戻ってご飯を食べ、リモートでPodcastの収録をして、収録を終えて少ししたら母の携帯がなりました。

もしかして急変したのかも、とドキドキしながら母が電話を取ると、近くに息子さんがいるなら代わってください、と。これは何か緊急のことがあったのではと嫌な予感がしながら電話に出ると、夕方からまた一段と数値が悪くなっていて、もしかすると夜中に急変の連絡があるかもしれないので、事前にお伝えしておこうと思ってとのことでした。

動脈血酸素飽和度の値は88まで落ち、呼吸の酸素化を評価し、呼吸不全の指標の1つになるP/F比(動脈血酸素分圧(PaO2)を吸入酸素濃度(FIO2)で除した数値)は、正常値が400以上のところ、夕方で180、電話している今が50近くまで下がっていると。詳しい医療知識はないものの、先生からの説明でだいぶ状況が厳しいことがわかりました。数値がもっと悪くなれば夜中に呼び出しの電話がくるそうなので、心配しながら今後のことに備えて寝ることにします。

回復

今日の鹿児島はあいにくの雨でした。

京都では、三男の野球チームが京都で最も大きな大会の一回戦。早朝の試合で、試合展開を適宜妻が送ってくれました。序盤にキャプテンのホームランなどで4点リードするも、ミスなどで追いつかれ、最終回、1アウト満塁のピンチに、前進守備の上を抜かれるヒットを打たれサヨナラ負けとのこと。三男も内野安打で出塁して点に繋がりもしたようですが、送球エラーもあったらしく、試合のあとは泣きそうになっていたそうです。この経験を糧に強くなって欲しい。

午前中、この機会に母が気になっているけど買えなかった家電を買いにヤマダ電機へ。髪の毛をセットするヘアアイロンスマホに接続するBluetoothのイヤホン(私と同じShokzのOPEN RUN)を買いました。その足で母の実家へ立ち寄り、昼ご飯を食べに中央駅前のJoyfulへ。食事をとって、市立病院へ移動したら、ちょうど面会開始時刻の良い時間に到着しました。昨日の面会のときのイメージでベッドへと近づいたら、昨日よりも血色の良い顔色をした父がいてほっとしました。ベッドの傾きも昨日より上半身を起こしていて、ベッド横のテレビで番組を見ていました。モニターの数値を見ると、心拍数も90と落ち着いていて、酸素飽和度も98%になっています。母や私との会話も、昨日よりはっきりしていました。その様子を見た母は、心底ほっとした様子で、退院して家に帰る日も近いかもと思ったようですが、先生の話では高濃度の酸素吸入をしているからこその数値だとは思うので、そう簡単にはいかないんじゃないかな。

なんか母の雰囲気を見ていると、自宅に戻ってきて、本人の責任の上でタバコやお酒をちょっと嗜むくらいはいいんじゃないかって思ってそうなんですよね。そんなわけないから。特にタバコね。酸素吸入器とかの近くで火気は厳禁ですし、タバコを吸わせないコントロールができないなら自宅に帰るのは無理だから、と強めに言ってしまった。頼むで。

病院の面会のあと、母が銭湯に行こうかなというので、じゃあ僕は駅の近くでブラブラしてくるわと中央駅の近くでおろしてもらいました。映画館でIMAXゴジラを見て、その後、駅前のサウナでひと風呂浴びたら(なんか鹿児島で外の風呂に入ってばっかりじゃんって感じですが、実家の風呂は洗濯物干し場になっていて使えないんですよね)夕方になっていたので、母と合流して焼肉のなべしまへ。今日は昼夜と外食ですが、母やここ数年、親父の世話で外食に行っていなかったそうで、まあこういう機会くらいはね。焼肉のなべしま、私が高校の頃とか家族4人でたまに来ては、弟がめちゃめちゃ食べてお店の人とかにちょっと笑われたりしたのを思い出しました。あれがもう20年とか30年前の話なのか。

ご飯のあとは家に帰ってきて、Netflixサンクチュアリの続きを視聴。

私が映画見たりしている間に、母は銭湯に行っているはずが、病院から電話がかかってくるかもと心配したようで行けなかったそうです。ということで明日の朝、私が電話番をして早朝の風呂に行ってもらうことに。

夕方見た「ゴジラ」は、すごく面白かったです。思っていた以上に戦争の映画でした。ゴジラVFXも迫力があり、アクション全般手に汗握る展開で、クライマックスはそうなるだろうなという想像は頭にありましたが、ハラハラドキドキさせてもらいました。アカデミー賞で特殊効果の部門の賞をとっていましたが、それも納得。アカデミー賞では原爆の生みの親を描いた「オッペンハイマー」が主要部門を席巻していましたが、ゴジラも戦争、そして核に関係する話でした。

面会

面会時間が13時からとのことだったので、午前中は家で過ごしてから病院へ向かうことにしていました。家の近所に銭湯ができたというので、病院に行く前に風呂に入ってからと思い、家を出てしばらく歩いたところで母親から電話が。父親の状態が少し悪くなったので病院へ来てくださいとのこと。慌てて家へ戻って病院へ向かいました。おじさんにも連絡。

病院につくと、救急病棟の病室へ案内されて、ベッドで治療されている父へ面会することができました。

着いたときは、心拍数が120くらいで、酸素濃度の値が85%くらい。酸素濃度は90%以下が呼吸不全に該当するみたいで、確かに息苦しそうにしていました。僕の顔が分かったのか、少し微笑む瞬間もありました。そこへおじさん夫婦もやってきてくれて、父を見守る形に。会話していると呼吸が苦しくなるようで、目を閉じて、父を囲んでかわされる私とおじさん夫妻の会話を聞いているようでした。久しぶりにいとこのみんなの近況も聞いて、懐かしい気持ちに。

周りに人がいて安心したのか、父の数値もちょっと良くなって、心拍が90くらいに落ち着いて、酸素濃度が93%くらいまで上がってきました。顔色も少し良くなった印象。一旦、病状が落ち着いてきたということで、面会を終えることに(もともとこの病棟では10分程度の面会時間しか認められていないらしい)。

病院を後にして、母の実家近くの回転すしやで昼食をとり、家に帰りました。

しばらくは大丈夫そうだったので、朝行けなかった銭湯へ行ってひと風呂。

そういえば親父とは昔よく銭湯に行ったんですよね。背中を流せと言われて、アカスリで背中を流してあげて。息子と一緒に銭湯に来ているというのを少し誇らしそうな顔をしていたなー。風呂上がりに待合いのところにあったセブンティーンアイスでチョコミントを買って食べました。銭湯からあがったあとのちょっとしたドリンクやアイスが嬉しかったんだよな。昔はセブンティーンアイスなんて洒落たものはなくて、コーヒー牛乳とかジョアとかね。

家に帰って、母とちょっと昼寝をして。

病院から連絡があるかなと心配でしたが、大丈夫でした。親父、頑張っているようです。

実家のテレビを設定してNetflixを見れるようにしたので、母と相撲ドラマの「サンクチュアリ」をいくつか見ました。父と母がよく相撲を見ているからという理由で見始めましたが、ドラマの中で主人公と父親の親子関係・親子愛みたいなものが前に見たときよりぐっときました。

鹿児島へ

朝と夕方に大事な仕事の予定があり、父親のことが心配ではありましたが、今日は大丈夫そうということで、夕方の予定まで京都で終えて、新幹線で鹿児島へ移動しました。

新幹線に乗ったところで、昼に面会に行っていた弟からLINEが。弟から見たら、一旦落ち着いていそうだけど、呼吸器が取れるのは難しいかもしれないという感じのようでした。弟が面会したときは、父も落ち着いていて、会話が少しできたとのことで良かった。

鹿児島に到着したのは21:40過ぎ。昔に比べたらだいぶ早く移動できてるのでしょうが。どこでもドアみたいなものが開発されてシュッと移動したいものですね。高そうですが。京都鹿児島間を0秒で移動できるならいくら払えるかな...。

母親と合流して、一旦実家へ。病院の父は小康状態になっているので、また明日の面会時間に寄ってみることにしました。

銭湯で運ばれたときの様子や、昨日今日の病院での話など、母親と夜遅くまで話し込んでました。

連絡

ボーカルレッスンに出かけていったら、受付で今日はお休みですよと告げられるの巻。先週はコロナで出られなかったので、今日はあると思っていたのだけど、私の勘違いだったようでした。会場近くのデパ地下で妻へのホワイトデーのお返しを物色していたら、同じことを考えていたタッキーとばったり。お互い「ちょっと気恥ずかしいね」という顔で軽く挨拶して、お菓子の詰め合わせを買って帰りました。

その帰り道、実家の母から電話が。いつもは朝方に電話あるのに、変な時間に電話があるなと思って出てみると、親父が銭湯の湯船で意識を失い、一時的に心肺停止になって病院に救急搬送されたとのこと。病院の救急病棟にいるらしく、意識は戻り、会話はできる感じになっているが、呼吸器を口に当ててしんどそうにしていると。

とりあえず小康状態ではあるが、今後どうなるかわからない状態だと言うので、週末実家に帰ることにしました。

親父は昔から酒と煙草を嗜んでおり、特に煙草は肺気腫ができているのにやめられず、肺にダメージが蓄積された状態なので心配です。

父親の兄弟にも連絡をした方がいいだろうと、10年以上ぶりにおじさんの家へ電話しました。あまりに久しぶりすぎてオレオレ詐欺と間違えられないようにしないと、丁寧に説明。おじさんは、その後、母に連絡をして病院へ行ってくれたようです。頼るべきは遠くの実子より近くの親戚ですね。

夜、PTAの集まりがあったので参加。地域の各校のPTA会長と校長が集まり情報交換する会。PTAって学校によってやり方がそれぞれなんですよね。以前に出席したこの会で聞いた取り組みを昨年末に実施してみたりして(不要になった体操服のリユース活動)評判が良かったので、他校の情報を仕入れて、良いところを取り込んでいくのは有用ですね。

水ダウの清春の新曲の歌詞を完全に聞き取れるまで出られない部屋の企画が面白かった。歌詞がはっきり分かるように歌う歌手もいれば、音としてのニュアンスを大事にして「書いてないじゃん」って感じで歌っている歌手もけっこういますよね。清春さんはその中でも特に分かりにくい方だと思うけど。番組が終わったあと、次回予告が先週の内容とほぼ同じ内容が流れて(つまり今日の放送内容の予告)、ネットではこれはなんなんだと騒然としていました。ミスなのか、何かの説なのか、あるいは来週も別の部屋で同じことをやっていいた人をやるのか。以前、ダウンタウンが涙している予告が流れたら視聴率上がる説をやっていたので、放送内容とまったく同じ内容の予告が流れたら何事かと視聴率が上がる説とかだったりするのかしら。まあ来週を楽しみにすることに。

会食

コロナの方は体調はだいぶ戻ってきたのですが、今度は花粉症が...。鼻と目がつらい...。コロナの影響なのか、身体の充電池が満タンにしても95%って感じがあって、完調までは時間がかかりそうです。

取引先の方と会議と会食があってオフィスへ出社。色々とおもしろいお話を聴かせてもらいました。

雑談の中で音楽の話になり、バンド活動の話など。音楽の話は盛り上がりますね。