昼ご飯を食べているときに、急に今朝見ていた夢を思い出した。細かいところというよりは、夢の中で、自分が今の家以外に別の部屋を借りているという設定。仕事か学業の都合でそうしているのだけど、部屋にはほとんど立ち寄っていなくて、退去したり片付けたりしないといけないんだけど、なかなかそれをできてないと気に病んでいるという夢。これをふと思い出して、そういえば部屋ってどうしてたっけと一瞬現実と夢が区別つかなくなってしまった。怖いな。
先日のラヴィットでミスタードーナツの特集をしていて、食べたくなっていたので、出先で家族の分も買って帰る。ミスタードーナツ、子供の頃はヨーグルトクリームがすごく好きだったんだけど、いつの間にかメニューから消えていたんだよな...。ネットを見ると復活を希望する声がちらほら。どこかで復活してほしいぜ。
Podcastでも紹介していた柚木麻子先生の「Butter」を読み終えた。めちゃめちゃ面白かったなぁ。実際にあった首都圏連続不審死事件を下敷きにしたフィクションで、「BUTTER」というタイトルの通り、料理が様々な箇所で効果的に登場している。作中での料理の描写が秀逸で、読んでいると食欲をめちゃめちゃ刺激される。全体を通じて、現代社会での生きづらさみたいなのが描かれているけど、作者が女性だからか、特に女性性の生きづらさの方に生々しさを感じた。そして、以前も別の作品(「水車小屋のネネ」とか)のときにPodcastで話したことあるけど、「家族」でも「友人」でもない、新しい関係の重要さが描かれていた。いや、新しく、ということではないのかな。そもそも人と人との関係性は無限にあり、それによって人間は生活共同体を営んできたけど、現代のインターネットを中心とした情報革命によって、それらしい情報がすぐに伝播するようになり、多くの人達が、本来は無数の形があるはずの人間関係を、「正しい」家族の形、「普通の」友達の形みたいな型に押し込めようとして苦しんでいるんじゃないか。それはつまり、料理のレシピで言うところのオーソドクスな形で、そこに従っていると穏当ではあるのだが、そこからそれぞれの快適な形へのアレンジを加えることで、ぐっと「らしさ」が出て、より生きやすく、幸せになるんじゃないか。そんな風に思った。
「BUTTER」を読み終えたので、積読本がたくさんあるにもかかわらず書店で買い足し。気になっていた浅井リョウ先生の「イン・ザ・メガチャーチ」と櫻田智也先生の「失われた貌」を。何から読もうか。


