ギバー、テイカー、マッチャー

小学校の卒業式・入学式、中学校の卒業式などが近づいてきて色々とばたばた。普段はマルチロール・マルチタスクもそんなに苦ではないけど、多方面からの細かいタスクの粒が多くてポロポロとこぼれているものもいくつか。メールは即レス!を信条にしているつもりが2日ほど放置しているものがあったりとか。

最近ちらっと聞いた「ギバー」「テイカー」「マッチャー」という言葉。

「ギバー」は自分の利益よりも他人の利益を優先して考えて、「テイカー」は自分の利益の方を優先、で「マッチャー」は自分と他人の利益のバランスを取ろうとする、そんなイメージ。

自分を振り返ると、昔は「テイカー」だったような気がするが、段々と「マッチャー」そして今は「ギバー」なんじゃなかろうか、と思うのだけど。最近とあることがあって、全然「ギバー」じゃないな、って思うことがあったのだった。「ギバー」的な振る舞いをしているのは、それを通じて関わっているコミュニティがうまく回って、結果自分が快適に過ごせるためって考えてるからなんだろうな。

自分が「ギバー」な振る舞いをすることで、他の人にも同じように「ギバー」的な振る舞いを期待しちゃうんだけど、自分以外が「テイカー」的な行動で固着されちゃうとしんどいということがわかった。快適な人生は人の良心によって支えられている。この間読んだ津村先生の「水車小屋のネネ」がなんとなく頭に浮かんだのだった。


そういえば、今日は会社の京都オフィスが移転して一周年という日だった。もう一年か。早いなあ。