方針転換

急変の連絡があるかもしれないと言われていた一夜が明け、連絡がなかったことにホッとしました。

今日は病院で今後の方針について先生からお話があるとのことで、午前中に弟が阿久根からかけつけてくれました。弟とは10年弱ぶりに会いました。父は病院ですが、久しぶりの母と子ふたりの家族の時間。最近の家族の様子を聞いたり、親父に何かあったときのこと、実家をどうするかなどなど込み入った話をしました。

お昼前に家を出て、近所のとんかつのお店で食べようとするも月に1回の定休日、じゃあと近所のラーメン屋へ向かったらそちらも定休日でした。残念。結局病院近くのロイホで食べることに。

ご飯のあと病院へ向かい、面会の時間を待ちました。

ベッドの上の父は、昨日よりも悪そう。息も絶え絶えという感じで苦しそうにしていました。父は、私が子供の頃から「人工呼吸器には繋いでくれるな」とずっと言っていて、今回も病院側へはチューブを入れる、人工呼吸器につなぐ、といった処置はしない方向で話をしていました。

昼下がりに、病院内で今後の方針についてのカンファレンスをするとのことで、一旦帰宅しましたが、夕方に再び連絡があり、もう一度状況を伝えて今後の方針を決めたいということで病院へ向かいました。

初日に父を診てくれたという、一番偉い先生が対応してくれて、現状の説明を詳しく受けました。お風呂の水の影響で肺炎を起こしていること。長年のタバコで肺気腫がたくさんできていること。入院したときよりも肺炎がぐっと進行していて片方の肺が真っ白になっていること。肺炎を治すためには抗生物質だけでなく肺の中に溜まっている痰を出す必要があること。昨晩一時的に投与していた100%酸素は、それを継続していると肺にダメージも蓄積されること。身体が弱っていて自力で痰が出せない状況なのでこのままの状況だとジリ貧であるということ。口からチューブを入れて人工呼吸器につなぐことで、そこから痰を出せること。人工呼吸器につないでも身体が回復したら呼吸器が取れる確率もフィフティ・フィフティの確率であること。

父の意思を尊重して、挿管は断ることもできましたが、まだ助かる可能性が少しはあることや、最初に心肺停止になったときから周りの尽力で一旦は回復したこと、残された家族がやれることはやったと思えるのか、など様々な思いが頭をよぎります。人生はゲームではないので、ここで一旦セーブして、各選択肢を試してみるということは当然できないわけで。

家族と先生の話し合いの結果、本人に説明をして、本人が挿管してもよいと思えたらやりましょう、ということに。ベッドにみんなで向かい、先生に状況と選択肢を説明してもらいます。はじめは挿管に対して首を振った父でしたが、孫たちも会いたがっていること、まだ前の生活に戻れる可能性がわずかながらあることを話し、最後は挿管に納得してもらいました。父を一生懸命励ましながら、気がついたら涙が流れていました。説得の中で、次男が最近麻雀を覚えていることを伝えたときは、可笑しかったのか、ほんの一瞬だけ顔がほころんで吹き出して笑ってくれました。その表情を見たときに、今ここで諦めるべきではないと、私の中の気持ちもより固まってきました。今日先生の話を聞くまでは、治療はここまで、あとは緩和ケアで、というところからの大きな方針転換でした。この決断がいい方向に転がってくれることを祈るのみです。

方針決定のあと、一旦家族控室に戻り、そこで待機することに。そこから2時間以上待ったところで、看護婦さんに呼ばれ、再びベッドへ。父に口にはチューブが挿管されていました。そこから痰を吸い出すことでぐっと楽になるとのこと。酸素飽和度も100になっていました。挿管しているので医療用の麻薬で違和感をなくしているのと、睡眠を促す薬で、ベッドの上の父は寝ていましたが、昨日今日の中では一番穏やかな雰囲気でした。

家に帰って来たのは21時過ぎ。遅めの晩ごはんでしたが、父の容態が安定して、方針も決まったことに私も母もほっと一息つける夜となりました。