一旦京都へ

父への人工呼吸器の挿管から一夜明け、私も母もここ数日では一番良く寝れたかもしれません。というほど寝れてなかったわけではありませんが。山場はこれからも続きそうですが、一旦は「頑張って生きる」という方向に舵を切れたことにホッとしたのかも。私は、父に対しては、高校生の頃までの記憶しかなく、私が反面教師にするほどザ・九州男児という感じで、家のことはしない、子育てもほぼノータッチ、妻を召使いのように遣う男、という印象が強いですが、それから30年近く経っており、ここ数年は外に出歩くこともなく、我が家で母とゆったりとした生活をしていたようで、夫婦としての絆は深まっていたんですね。そんな話を夜に母からは聞きました。

13時の面会時間に合わせて病院へ。待合室では、今日90歳過ぎたお母さんが運ばれたという御夫婦がいて、お互いの状況などを会話して情報交換。いろいろな事情がありますね。

病室へ入ると、昨日と同じように口から呼吸器を挿入され横になっていました。口から挿管されているので、薬で意識レベルを落とされてた状態。当然、会話や意思疎通はできません。ただ、昨日までのように苦しそうにはしていないので、そこは安心。ここから痰をどんどん出して、肺炎の状態がどこまで回復していくのかがひとつの山場ですね。リハビリなどもだいぶしんどそう。意識がもどったときに、なんで管を入れたんだと本人が怒る可能性もなくはないと思っていますが、あのときの判断ではこれがベストだったと思いますし、それをちゃんと父も理解して回復に気持ちを向けて欲しいなと思います。

今日は安定してそうということで、病院を出て、駅まで送ってもらい、新幹線に乗って京都へ帰ってきました。京都についたのが19時頃。帰りの新幹線では電子書籍で「白暮のクロニクル」を読んでいたらあっという間に京都でした。駅を出ると雪が舞っていてびっくりしました。

今回の帰省で、医療的な手助けはもちろんできなかったわけですが、不安がっている母に寄り添えたこと、医師から提示された医療方針について決断できたこと、父のそばで声をかけもう少し頑張って生きるという方向に元気づけができたことは良かったんじゃないかなと思います。父の容態が良い方にも悪い方にも転がっていく可能性があり、また近い内に帰ることになると思いますが、新幹線一本でつけるのはとても便利。九州新幹線、ありがとう。

家に帰ってきて、子どもたちの顔を見て、週末の野球の様子などを聞き、水曜日のダウンタウンの2週連続で同じ内容を放送するというバカバカしい(けどすごい)企画を一緒に見て、少しだけいつもの日常に戻った気がしました。