久しぶりのイオンモール京都五条

スプラトゥーンのフェスが始まったので、朝小一時間ほどプレイ。

今日は野球の練習がないというレアな日だったので、午後から妻と三男とイオンモール京都五条へ行ってきた。

イオンモール京都五条

今の家に引っ越す前はよく行っていたイオンモール京都五条(当時はイオンモール京都ハナ)に、久しぶりにおでかけしてきました。大体のお店はそのまま残っていましたが、靴屋さんや洋服屋さんが1月末で閉店・移転の案内が出ていたり、すでに前の店舗から変わっていたりしていてときの流れを感じた。

前によく服を買っていたThe Shop TKが1月末で閉店でセールをやっていたので、妻がコートとワンピースを購入。次男用のショルダーバッグも買って1万円くらいだったのでだいぶお得だった。

その近くにあるcoenで自分の服を見繕ってみたが気に入ったものがなく、三男が「K」とかかれた野球帽を気に入ったので買ってあげた。栗栖のKでもあり三振のKでもある。よしおみの「Y」もあったが、ちょっと自分には似合わなかった。三男用のリバーシブルのコートもあったのだが、店舗にはサイズがなかった。ので、あとでインターネットを検索したらあったので注文。4400円で、5000円から送料無料だったので、880円のソックスセットを買い物かごにいれたところ、2点買うと20%オフというありがたい割引が発生して5000円を割ってしまったので、ソックスを外して自分用のセーターとズボンを買った。入らなかったり似合わなかたりしたら子どもたちに渡せば良い。彼らなら何でも似合いそうだ。外食して多少食べきらないかなという量でも、長男次男がいればまあ食べてくれるかなという気持ちになれるので安心感がある。小さかった頃とは逆の発想になっていておもしろい。

coenの隣りにあるカバンなどの革製品を扱う店で私の財布を購入。前に使っていたのがボロボロになっていたのだった。いよいよ長財布デビューでもしようかと思ったが、小銭入れがついてないタイプの二つ折りがあるというのでそれと小銭入れにしてみた。前回に引き続き今回も妻が買ってくれたので大事に使わなければ。

今回のお買い物の目的のひとつである、ポケモンのゲーム機「メザスタ」を三男と一緒にプレイ。一緒にというか、三男がやるのを横でサポートしてあげた。まあ100円入れてポケモンと戦うのだが、ポケモンをゲット(物理的なタグ)するためには追加で100円入れないといけないという仕様。ひととおりプレイして終わりかなというときに「あと100円いれるとさらにポケモンがゲットできるよ」で、100円投入してゲットすると、そのあとでも「最後にもう一度100円でゲットできるよ」と無限に(無限ではないけど)100円を入れ続けさせる流れになっていて、お金が吸われていく仕様になっている。お年玉をにぎりしめた子どもたちはここでガンガン使っちゃうんじゃないかと思うと怖い。

ひととおり楽しんだあと、ゲームコーナー近くのサンマルクカフェで休憩。コーヒーゼリーのパフェが美味しかった。妻はわらび餅のパフェ。妻の方にはわらび餅とあんとコーンフレークとソフトクリームでパフェと言われてもそうだよねというものだったが、私のコーヒーゼリーのパフェは、普通のコーヒーゼリーにソフトクリームが乗っているだけでコーンフレークはなし。まあ私はフレークはいらなかったので全然良いんだけど、「パフェ」とはなんなのか、という気持ちになる。個人的にはフレーク部分がパフェのアイデンティティのような気もするのだけど、そうではなかったらしい。

パフェを食べたあと、1階の靴屋へ。移転にともなう在庫一掃セール中だった。なんとなくナイキのコーナーを観たらエアマックスのSCという低価格モデルが並んでいて、真っ白いタイプのちょうどのサイズがラスト1足だったので思わず買ってしまった。店頭に置いてあった謎のコーティングマシーンに惹かれて500円追加してコーティング。雨とかを弾いてくれるらしいけどどうかな。

薬局の歯ブラシコーナーで電動歯ブラシをチェック。事前にチェックしていて、乾電池タイプで使い勝手が良さそうなフィリップスのPhilips Oneという製品を買いたかったのだが店頭になかったので、その場でヨドバシカメラのネットショップで注文した。

最後にカルディコーヒーでハーブソルトを買い、100円パン屋で明日のパンを、そして晩ごはん用に焼き鳥を買って、バスで帰宅。楽しい一日でした。



夜の道標

芦沢央さんの「夜の道標」を読了。

芦沢央さんの作品といえば、イヤミスという印象でしたが、本作は最近の東野圭吾さんっぽい社会派と読みやすさが同居している作品でした。性的な問題が物語の核心に絡んでくるところ、特に一般的には大したことないじゃんということが、当事者にとっては大きな問題となる切り口のあたり、も東野圭吾さんの最初の作品である「放課後」を思い出しました。複数の登場人物の視点が交互に描かれて物語は進んでいき、それぞれの暗い人生の中に一筋の希望の光が差し込む余韻で終わりました。

時代によって物事の価値判断は大きく変わるんですよね。そんなの当たり前じゃん、ということが少し前は当たり前ではなかった、そしてこの先ももしかしたら当たり前でなくなるかもしれない。そういうことを頭の片隅において生きていかないとな。