飴村行先生の新作 / ウォーフェア

書店を覗いたら、ななななんと飴村行先生の新作が並んでいた! 粘膜シリーズ最新作と共になんとエッセイまで!興奮を抑えつつ、レジで会計をすませた。いやー、楽しみすぎる。と、カバーのところに並ぶ粘膜シリーズのタイトルを見て、ふと疑問が。前作「粘膜探偵」って読んでたっけ...。「粘膜人間」(2008)に始まり「粘膜蜥蜴」(2009)「粘膜兄弟」(2010)「粘膜戦士」(2012)までは確実に読んでいる。このブログにも記録が残っている。が、「粘膜探偵」が発売されたのが2018年。ちょうどこのブログが1年書かれなかった期間だ。いやー、表紙といいタイトルといい、なんか読んでなさそうだなあ...。書店で見つけられなかったか。まあ今度見つけて読んでみることにします。

そんなことより、今回の「粘膜対戦」と「粘膜黙示録」です。特にエッセイの「粘膜黙示録」。こちらの序盤を読みましたが、めちゃめちゃおもしろい。おもしろすぎる。大宮でたまたま知人と出会い、会話をしているときに素行不良のおっさんに知人が絡まれたが、一目散に逃げ出し、そのことをひたすら正当化する「決断」、と、派遣工のおじさんたちが一獲千金を夢見てナンバーズに没頭する「常識」が今のところ最高。本を読みながら吹き出したのは久しぶりだ(泣くのはよくあるけど)。

飴村行先生の描く物語「粘膜シリーズ」は、読む人を選ぶ作品だとは思うのだが、私はめちゃめちゃハマっている。が、どこが好きなのと聞かれると困る。説明ができない。好きだから好き、としか言えない。ちょうど先日のファンミーティングに参加していただいたInajobさんが、自身のPodcastでOssan.fmやキマグレエフエムについて「なんで聞いているかを全然言語化できない」と話されていたが、それと同じ感覚だと思う。実はB'zについてもそうで、聞かれたら「稲葉さんの書く歌詞が〜」とか「Takのギターが〜」とかそれっぽいことを言うことはできるが、自分の中でその言葉がクリティカルヒットしているかというと全然そんなことはなく、好きだから好き、というのが一番しっくり来る。理由は分からない。

昔、大学生のとき、見た映画の感想をノートにせっせと書いていたら、それを見た友人から「それ何のために書いているの?」と聞かれたことがあるのだが、自分が好きなもの、嫌いなものを言語化する訓練だったのかなと今振り返って思う。思うが、本当に好きなものについては、まったく言語化できないのだから訓練はうまくいかなかった、或いは途上ということなのかもしれない。

帯に、2冊同時に買ったら飴村行先生のサイン本プレゼントとあったので、KADOKAWAのアプリをダウンロードして、レシートを撮影し、手順に従って応募した。もし当たったら、「粘膜大戦」の文庫本にサインをしたものが送られてくるらしい。サインは嬉しいが、本はすでに買って持っているのだから、色紙に書いてくれても良いんだけどなと取らぬ狸の皮算用をしてみたりした。


映画館で「ウォーフェア 戦地最前線」を見た。「シビル・ウォー」のアレックス・ガーランド監督が描く戦地。2006年のイラクを舞台に、危険地帯で監視任務についていたところ、逆に周りを敵兵に囲まれ、そこからなんとか脱出するアメリカ兵たちが描かれている。実際にあった話、というか、戦地から生還した兵士たちから聞き取った内容を基に、リアルに戦場を再現したもの。

緊迫感でひりついた95分の映像体験であった。絶対戦地行きたくないと思った。

これまで「戦場をリアルに再現」という謳い文句の映画はいくつも登場してきた。スピルバーグの「プライベート・ライアン」、リドリー・スコットの「ブラックホーク・ダウン」などなど。どこから攻撃されるか分からない。銃撃音が四方八方からあり、眼の前で戦友が容赦なく死んでゆく。本作も、そういった作品のように、戦地がリアルに再現されている。観客向けの説明的なセリフはない。戦場に放り込まれた感覚。ただ、これまでの映画と異なるところは、芯となる「物語」がないところだった。いや、「包囲された敵地からの脱出」というストーリーはあったのが、それを包み込む大義であったり、兵士たちのミッションに感情移入できるような何かはなかった。観客としては、良くわからないままいきなり戦地に放り込まれ、あっという間に周りが敵に囲まれ、戦友が大怪我をし、一気に非日常の世界へと放り込まれる体験だった。

ウォーフェア 戦地最前線|FILMS|A24×Happinet Phantom Studios